『起業の科学 スタートアップサイエンス』の著者でスタートアップ支援を手掛ける田所雅之氏と、やはりスタートアップ支援を手掛けるTomyK(東京・千代田)代表の鎌田富久氏が日本のスタートアップについて語り合う。後編は、日本のスタートアップが抱える課題から話が始まった。研究開発が得意なスタートアップは多いが、ユーザーの抱える課題を自分ごととして捉えなければうまくいかないと指摘する。(前編はこちら

日本のスタートアップにはどんな課題があると見ていますか。

鎌田:日本で、スタートアップのエコシステム(生態系)が実現すべき課題は3つあると思っています。まず第1に「起業家を増やす」、第2に「起業家の成功確率を高める」、第3に「スタートアップを大きく育てる」。つまりユニコーン(企業価値が10億ドル以上で非上場のベンチャー企業)クラスの企業を増やすことです。ユニコーンを育てる役割は大企業にもあります。大企業の持つ400兆円の内部留保と人材がスタートアップにもう少し流れるようになれば、ユニコーンも増えるでしょう。

田所:成長に必要な人材を集めることは、ニワトリと卵の関係があります。スタートアップが大きく成長しなければ、優秀な人材も集まりません。2017年11月末、グリーの常務だった青柳直樹さんが、メルカリに入り、金融関連の新会社メルペイの社長になりました。優秀な人材が日本のユニコーンの1社である、メルカリに集まるのは、インセンティブも大きな理由でしょう。仮に、時価総額2000億円で上場したとすると、0.1%のストックオプションでも税金を引いて1億5000万円ぐらいになります。一般的な企業に勤め続けるよりも、上場前のスタートアップに入社する方が大きな収入になる。こうしたケースが増えれば、スタートアップはもっと優秀な人材を集められるでしょう。

田所氏は、日米で起業を経験し、ベンチャーキャピタルに関わったこともある経験を生かし、スタートアップ支援に取り組んでいる(写真=菊池一郎、以下同)
田所氏は、日米で起業を経験し、ベンチャーキャピタルに関わったこともある経験を生かし、スタートアップ支援に取り組んでいる(写真=菊池一郎、以下同)

日本でもスタートアップへの投資が増えています。期待が高まる一方で、バブルになってしまう心配はないでしょうか。

鎌田:今、VCの資金が膨らんできているのは確かです。しかし、その資金のほとんどは先ほど話したスタートアップの3つの課題の2つ目である「起業家の成功確率を高める」部分に流れ込んでいます。これは、ある程度のメドが付いたスタートアップの成長を加速させる意味はありますが、「起業家を増やす」「スタートアップを大きく育てる」という部分ではまだまだ資金が不足しています。こうしたお金の流れが変わってくれば、スタートアップ全体の成長がうまくつながるようになるはずです。

田所:スタートアップがお金を集めやすい状況はありますが、日本では大手VCが投資したところに、他のVCが後追いで投資するケースが多いのは気になります。自らリスクを取って、最初に投資するリードインベスターはまだ少ない。

鎌田:残念ながら、そうした投資の考え方はなかなか変わらないでしょう。そこで、私は、テクノロジーを基にしたスタートアップのチャレンジをみんなで応援していきたいと思っています。資金も必要ですが、スタートアップは顧客に商品やサービスを買ってもらうほうがありがたい。大企業や政府も、さらに私たちも、積極的にスタートアップの商品・サービスを購入するなどの応援をするようにすれば、企業として伸びやすくなります。

 大企業がスタートアップを買収するM&A(合併・買収)も日本ではまだ少ないのですが、昨年はKDDIがIoT通信プラットフォーム会社のソラコム(東京・世田谷)を買収しました。こうしたM&Aがもっと増えれば、大企業がスタートアップをスケールアップさせる役割を果たし、日本のスタートアップが世界で戦いやすくなります。

田所:M&Aは、スタートアップの創業者が億万長者になるという面もあるのですが、日本では彼らがなかなかエンジェル投資家に育たない。シリコンバレーなどでは、エンジェル投資家が年間2兆~3兆円も投資しています。

 日本でも資金を持つ人が、起業家に投資するという同じような循環が必要です。エンジェル投資家は起業経験があるので、起業家の失敗も理解できますし、メンターにもなれます。

 コロプラの元副社長である千葉功太郎さんや、IoT関連のスタートアップを支援するABBAlab(東京・千代田)の代表である小笠原治さんのようなエンジェル投資家がもっと現れ、投資額が今の10倍になったら、状況はかなり変わってくるでしょう。

技術者はユーザーの課題把握が苦手

今起業家を目指している人たちに向けて、どんなことを伝えたいですか。

鎌田:日本では、これまで優秀な研究者やエンジニアたちが起業することはあまり多くありませんでした。しかし、彼らは世界で戦えるレベルになり得ます。米国でもスタンフォード大学やMITで学んだ優秀な研究者・エンジニアがスタートアップを起業しています。

 ただし、研究者やエンジニアは論理的に仮説を立て、検証していくことは得意ですが、視野を広げてユーザーのニーズに合わせていくという考え方は苦手です。技術という素材がいくらよくても、「おいしい料理」に仕上げる腕がなければ、誰も食べられません。この点を忘れないようにすべきです。

「技術という素材がいいだけではおいしい料理は作れない」と、ユーザーのニーズを把握する重要性を語る鎌田氏。鎌田氏は、ソフトウエア・ベンチャーを共同創業し、東証マザーズに上場させた。その経験を生かし、スタートアップ支援や投資を手掛ける。著書に『<a href="http://amzn.to/2p67BQZ" target="_blank">テクノロジー・スタートアップが未来を創る―テック起業家をめざせ</a>』(東京大学出版会)
「技術という素材がいいだけではおいしい料理は作れない」と、ユーザーのニーズを把握する重要性を語る鎌田氏。鎌田氏は、ソフトウエア・ベンチャーを共同創業し、東証マザーズに上場させた。その経験を生かし、スタートアップ支援や投資を手掛ける。著書に『テクノロジー・スタートアップが未来を創る―テック起業家をめざせ』(東京大学出版会)

田所:私も同感です。起業家にとって大切なのは、ユーザー目線でストーリーをはっきり語れることです。それには、何より自分自身がユーザーになるのが一番いい。クラウド人事労務管理を手掛けるSmartHR(東京・千代田)の宮田昇始(しょうじ)代表は病気にかかって、その治療のため会社に休みを申請したら手続きが大変だったという自身の感じた痛みがストーリーになっているので、自社のプロダクトに強い思いがある。

鎌田:私が起業を狙う研究者やエンジニアに繰り返し言っているのはまさにそのことです。技術志向ではなく、自分ごととして課題をとらえなければユーザーには受け入れられない。

 研究にはオリジナリティーが大切なので、自分だけで考えることに価値があります。しかし、ユーザーが抱える課題を解決する売れるものをつくるにはユーザーの声に徹底して耳を傾けなければなりません。

 聞きまくることが大切なのですが、それを躊躇(ちゅうちょ)する研究者が多い。イノベーションは現場、つまりユーザーのそばでしか起こりません。ユーザーの間を走り回らなければ正解にはたどり着けないのです。

 それは、研究者にとって初めての体験ですが、プロトタイプをつくったら、ユーザーの元へと走り回り、フィードバックを受けなければ前に進むことはできません。自分1人だけの思い込みでは失敗する。いろいろな人に聞いて検証するプロセスが大事なのです。

田所:そうした失敗をしないためには、まずユーザーが抱える課題の仮説を立て、ユーザーの声を聞いて検証しながら、課題の質を高めていくことが大切です。例えば、想定したカスタマーを具体的にイメージできる「ペルソナ」(仮想のユーザー像)を定義して考えるのも一つの方法でしょう。

 なぜ、仮説がそんなに重要なのか。それは、仮説を立てる前は何が分からないのかさえ分からない状態だからです。ところが、仮説を立ててユーザーの話を聞きに行くと、そこで初めて、自分たちは何が分からないのか見えてくる。「無知の知」が得られるわけです。

 ユーザーの声を聞くときに注意すべき点があります。ユーザーは自分の抱える課題をうまく言葉にするのが苦手ということです。

 ユーザーが本当に欲しがっているものを見つけるには、ユーザーの生の声を集めるだけでは足りません。KJ法などの思考整理の技術を使って、言葉の裏に隠れた真のニーズを検証することが重要です。既に顕在化しているニーズだけでなく、ユーザーの声を深掘りして隠れたニーズを突きとめ、自社が持つ技術的なアドバンテージのシーズと結びつけられれば、大きな強みになります。

ユーザーの課題仮説を端から試せ

鎌田:私が支援してきたスタートアップは技術を基にした起業が多いのですが、当初は自分たちが持つ技術が何に使えるのか、解決すべき課題が何なのか大抵分かっていません。

 だから、私は「ユーザーにお願いして、考えたことを端から試せ」と言っています。これが意外と効果的です。

 一つひとつの事例は深追いせずに、いろいろな業界に提案してみるのです。すると、どこかでお金を払っても試してみたいという人が出てきます。お金を払う以上、こうした人たちは真剣に内容を検討してくれます。こうした案件を1年に数件のペースで試していく。そうすると、スケールアウト(成長)できる分野が見えてきます。

田所:実際に、ユーザーの協力を得た実験がうまくいった例には、どんなものがありますか。

鎌田:インクジェットプリンターで「銀インク」を薄く印刷して回路を作る技術を持つエレファンテック(東京・中央)も、最初はいろいろな分野で提案をしました。DIYや教材への応用から始まり、すぐに年間数千万円の売り上げは立つようになったのですが、それらの分野は100倍に伸ばすことはできない。そこで、端からニーズを探す中で、製品の小型化などにより、電子基板の中で最も伸びているフレキシブル基板を正面から攻めることになりました。

鎌田代表が支援するエレファンテックが開発したフレキシブル基板。樹脂上の必要なところにインクジェットプリンターで金属の微粒子を塗布して回路をつくる(写真提供=エレファンテック)
鎌田代表が支援するエレファンテックが開発したフレキシブル基板。樹脂上の必要なところにインクジェットプリンターで金属の微粒子を塗布して回路をつくる(写真提供=エレファンテック)

 医療画像解析のエルピクセル(東京・文京)は、人工知能を使った画像解析の技術があります。最初は、画像中にある白血球など特定の細胞を数えたり、植物の種類を識別したり、いろいろな用途を試しました。その後、医療分野などにも提案して、CTスキャンやMRI(核磁気共鳴画像装置)などの医療画像を解析して診断を支援する分野にたどり着きました。これが市場としてスケール(拡大)しそうだ、となったのです。

 起業前は、研究者のための画像解析というアイデアだったので、ほとんどのメンターはスケールしないと判断していました。

 ただし、ユーザーの抱えているであろう課題仮説の構築に時間を無制限に使うことはできません。可能性のありそうな分野を素早く全て洗い出し、とにかく1年くらいは端から試す。遠回りのように見えて、最終的にはこれが一番早く結果が出ると思います。

ユーザーの課題を技術で解決しようという、さまざまなスタートアップが出てきそうです。これから伸びそうな分野はどこでしょうか。

鎌田:私は人間に向かうイノベーションに興味がありますね。これまでは既存の産業の効率化やネット経済に目が向いていましたが、かなり進化してAI(人工知能)が出てきたので、これらの分野は放っておいても自然に進歩します。これからは、人間の健康や寿命、ハンディキャップの克服に役立つメディカル、バイオ、ロボットなどの分野が伸びるのではないかと思います。

田所:私は、「5G」の今後に注目したい。モバイル通信の速度をさらに高める次世代通信規格の「5G」が実用化すると、これまで不可能だったことができるようになります。VR(仮想現実)のライブやテレプレゼンス(遠隔地同士で臨場感ある映像・音声をやりとりする技術)など、今まであり得なかったユーザー体験を提供できます。

 人間同士が直接会うときの情報量よりも、5Gで送る情報量が大きくなれば、移動することの意味も変わるでしょう。その変化に対して準備をしておくべきだと思います。

鎌田:高速通信によって、人の働き方も変わりますね。

田所:リモート(遠隔)での仕事もやりやすくなりますし、コミュニケーションの道具としても大きな市場が生まれます。VRやMR(複合現実、VRと現実を組み合わせること)などの研究に取り組み、技術を今から持っておくとチャンスになる。

一生の間に何度も常識が変わる時代

そうした時代に向けて、これまでの常識の枠を超えた発想をするため、頭を柔らかくするにはどうすればいいでしょうか。

鎌田:テクノロジーの進化が速くなる一方で、人間の寿命は長くなっています。一生の間に、ドラスティックに社会が変わるようになってきました。その中では、従来のように大学までの勉強だけで生き残っていくのは難しい。常に学び直すことが必要になるし、そうせざるを得ないでしょう。ただし、自分の核となるものは持っていたほうがいい。それと新しく出てきたテクノロジーを組み合わせて、次の展開を狙うのです。

田所:学生を相手に講演をしていると、昔にはなかった質問が出てくる。「AIでカバーできない仕事は何か」というのです。私は、課題の発見や現象の観察、あるいは鎌田さんのおっしゃるような可能性のありそうな分野を端から試すといったことは人間しかできないことだと思います。人の感性や問題意識は機械では代替できないでしょう。

鎌田:その質問は私も本当によく聞かれるようになりました。私が言うのは、「バカなこと」は人間しかできないということ。AIは確率の高いことを選びます。しかし、アイデアの多様性を確保するには、ほとんど成功しないと思われることへの挑戦が必要になります。他人と同じようなことをやっていても面白くないですから。

田所氏(左)と鎌田氏。AIではなく、人間しかできない発想がスタートアップには求められるという
田所氏(左)と鎌田氏。AIではなく、人間しかできない発想がスタートアップには求められるという

大企業の社員なども、スタートアップのような柔軟な発想が求められるようになるのでしょうか。

鎌田:大企業の中で、それなりのポジションにいながらくすぶっていて、何かを実現したいと思っている有能な30代後半~40代の人たちが、スタートアップにCFOや副社長として流れるようになると、スタートアップがもっと成長できるようになるでしょう。

田所:先日、全自動洗濯物折りたたみ機を開発するセブン・ドリーマーズ・ラボラトリーズ(東京・港)の阪根信一社長と話したのですが、これまでに累積で100億円を超える資金調達をしているそうです。この会社には、大手家電メーカーを退職した優秀な人たちが数十人規模で入社したと言うのです。

 セブン・ドリーマーズは、世界初の全自動洗濯物折りたたみ機を開発するなど、鎌田さんが言う簡単には実現できない「バカなこと」に挑戦している。そういう姿勢と、経営が安定する100億円超という調達額が、大企業の人たちを集める受け皿になっている。

資金調達が「嫁ブロック」を解消する

鎌田:スタートアップの世界には「嫁(よめ)ブロック」という言葉があります(笑)。本人はスタートアップを起業したり、ユニコーンに転職したりしたいが、奥さんが反対することが多いという意味です。それを乗り越えてスタートアップに移るには大きな資金調達に成功して安心感を持ってもらうのが有効です。

田所:AIに判断させたら、年収が減って不安定なスタートアップに行くという選択はしないでしょう(笑)。人間だからバカなことへの挑戦にやりがいを感じるんです。

鎌田:東大の中でもスタートアップ志向が高まっています。これが新しいやりがいや豊かさに結び付く。今の学生は生まれたときから裕福なので、欲しいものがありません。スタートアップの起業を目指す若者には、フェラーリに乗りたいという人はほぼいないでしょう。物質的なことがモチベーションにならないんです。世の中をよくしたい、変えたい、達成感を味わいたいという、そういう青臭いような思いを持っている人が増えていると感じます。

田所:ビッグデータとAIに取り組んでいるメタップスの佐藤航陽(かつあき)社長が言うように「資本主義から価値主義へ」変わりつつあるのでしょう。価値主義とはそれぞれの人が持つ価値を他の人に提案し合うような社会です。資本主義の成功パターンは年収数千万円稼いで、フェラーリに乗ること。そうした既存の価値観を押しつけるのではなく、それぞれの生き方や価値観を大事にするのが価値主義の時代です。スタートアップもそうした自分なりの価値を実現する一つの方法だと思います。

(構成:吉村克己、編集:日経トップリーダー

起業の失敗の99%は防げる!
起業の科学 スタートアップサイエンス』好評販売中です!

 従来は、いつ、何を達成すればスタートアップが目標に向かって前進できているのかを確認できるモノサシがほとんど存在しませんでした。仮に、有用な情報があっても、それらは書籍やネット上に散在し、忙しい起業家には活用しにくいものでした。

 そこで、『起業の科学 スタートアップサイエンス』は、起業家がカスタマーから熱烈に愛されるプロダクトを生み出し、スケール(事業拡大)できるまでの考え方を20ステップで整理しました。

 アマゾンやフェイスブックのような『大成功するスタートアップ』を作ることはアート(芸術)かもしれません。でも、この本で示した基本的な「型」を身につければ高い確率で失敗を防げるのです。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。